top of page

カイロプラクティックの歴史

こころカイロプラクティックでは、数ある上部頚椎カイロのテクニックの中でも、ドクターブレアが提唱した【ブレア・上部頚椎テクニック】を使用し、治療に当たっています。

カイロプラクティックの創始者​

 カイロプラクティックの創始者であるデイビッド・ダニエル・パーマー(1845-1913)は、1895年、アイオワ州ダベンポートで最初のカイロプラクティックによるアジャストメントを行いました。

 

 彼はカイロプラクティックの基本理念は「宇宙の叡智」と「内なる叡智」であると言っています。「宇宙の叡智」とは自然の摂理であり、内なる叡智として生きとし生ける者の中に存在するものです。

 

 彼は『背骨のズレ(サブラクゼーション)が自らが持つ身体を治癒する能力を妨害している』というカイロプラクティックの理論を提唱しました。そして調整(アジャストメント)によって背骨のズレを取り除くことで、自らの治癒力を回復させ、本来の健康体をとりもどすことがカイロプラクティックであると言っています。

カイロプラクティックの発展者  

 

 バートレット・ジョシュア・パーマー(1882-1961)はデイビッド・ダニエル・パーマーの息子であり、カイロプラクティックの発展に貢献しました。また、彼は上部頚椎カイロプラクティックの創始者でもあります。 

 

 彼は16年に及ぶ臨床研究により上部頚椎が健康への鍵であると確信するにいたりました。 彼はメインのサブラクゼイションは身体の一箇所のみに起こると言い、それは多くの場合、上部頚椎(特に第一頚椎)に発生すると気づきました。

 

 その後の彼の人生は上部頚椎カイロプラクティックに捧げられ、上部頚椎カイロプラクティックテクニックの発展に力を注ぎました。彼が創始した上部頚椎テクニックであるホールインワン (H. I. O.)テクニックは、現在でも一部の上部頚椎カイロプラクターによって受け継がれています。

ブレア上部頚椎カイロプラクティックの創始者 

 ドクターウィリアム・ブレアは幼少期から酷い喘息に悩まされ、環境の良い場所への転居を繰り返していましたが、HIOテクニックを使う上部頚椎カイロプラクターによるアジャストメントにより、喘息から劇的に回復。感銘を受けた彼はカイロプラクターへの道を進みます。そしてパーマーカイロプラクティックスクールでHIOテクニックを学びます。

 

 卒業後、彼は独自に上部頚椎の研究を続けブレアカイロプラクティックテクニックを提唱します。そのきっかけは、彼の義理母でした。当時、体調の悪かった彼女が上部頚椎のアジャストメントを受けたところ、体調がさらに悪化。その経験が彼を上部頚椎の構造、機能、上部頚椎カイロの理論をより深く理解するための骨格標本、レントゲン撮影技術、レントゲン画像分析などの勉強に向かわせました。

 

 より深いリサーチの結果、彼は自然が作り出した骨の構造は左右非対称が標準であると結論付けました。つまり、背骨が左右対称にできていることを前提にアジャストを行うと、左右対称ではない患者さんにとっては良い結果をもたらさない事に気づいたのです。このリサーチの結果を基に、彼は骨の接合面を撮影する新たなレントゲン撮影テクニックを開発、そして、HIOテクニックをベースに新たな上部頚椎アジャストメントテクニックを作り上げたのです。

 

 ドクターブレアは彼の人生をブレア上部頚椎カイロプラクティックの臨床研究、リサーチ、発展に捧げました。こころカイロプラクティックでは 彼の提唱したブレアテクニックを使用し患者さんの治療に当たっています。

ブレア上部頚椎カイロプラクター

 

 ドクターチャールズ・スピアーズ(1929-2016) はドクターブレアと同時期にパーマーカイロプラクティックスクールに在籍し、ドクターブレアとも面識があった方です。実際にドクターブレアの患者であり、彼から直接ブレアテクニックを学んでいます。また、ドクターブレアの上部頚椎をチェックしアジャストメントしていた方でもあります。

​ 彼は当初ことなる上部頚椎カイロプラクティックテクニックを使っていましたが、その後ブレア上部頚椎テクニックを使うことになります。

 そのきっかけとなったのが、自身が上部頚椎カイロの治療を受けていたにもかかわらず、内臓機能が低下し、車椅子の生活になってしまったことでした。体調がどんどん悪化していく中、ドクターブレアのオフィスを訪ねた際、ドクターブレアからブレアカイロプラクティックを受けてみないかと勧められたそうです。ブレアテクニックを使ったレントゲンを撮ると、首の骨の造りが左右対称ではなく、分析の結果今までのアジャストメントの方向は間違っていることが分かりました。あらたなレントゲン分析結果を基にドクターブレアがアジャストメントを行ったところ、半年も経たず車椅子が必要なくなり、体調が回復したそうです。

 数年前テキサス州にあるドクターブレアのオフィスでお会いした際、彼から上部頚椎のアジャストメントを受けました。80才を越えているとは思えない、スピードと繊細さ、そして安定感のあるアジャストメントでした。

 2016年7月21日に永眠されました。86歳でした。

フレンドリーでとても素敵な方でした。ドクターブレアのお話を、実際彼と同じ時間を過ごした方から聞けたことは多きな財産となりました。

ご冥福をお祈りしております。

bottom of page