top of page

恩を知り 恩に報いる(致知2016年9月)


雑誌『致知』を読み、雑誌のテーマに沿った感想文を書き、月に一度の勉強会に参加しています。(勉強会に関してはこちらを参照)その感想文を随時ブログにアップします。

私の感想文は私の自然観や人生観が如実に現れたものとなっています。それは、私が上部頚椎カイロを行う基礎となっている部分でもあります。

こころカイロのドクターがどんな人間なのか、感想文を通して知っていただければ幸いです。

恩を知り 恩に報いる

雑誌の総リードを読むと、恩を知り恩に報いた例が幾つか紹介されている。人が誰かのために行ったことやものに対して、受けた相手がそのことに感謝し、その恩に報いているという例である。しかしこの例は、恩というものの一面・一部を表現したものに過ぎないと感じる。

そう感じる理由の一つとして、平澤興氏の言葉を上げたいと思う。平澤氏が今月号の(pg50)で恩という漢字の意味を読み解いている。『「恩」の字は、上の「因」と下の「心」からできているが、因とはもと、原因とかいうことで、恩とはものごとのもと、ことに自らの今日の姿のもとを知って、これを心にいだき、ありがたく思うことである。』と。

「自らの今日の姿のもとを知る。」この言葉をもっと深く掘り下げ、今の自分を作り上げてくれたものは何なのかと考えると、まず「恩」とは人から受けるものだけでなく、私たちを作り上げ生かしている自然や環境、そして私たちの普段の生活を支えてくれている物からも「恩」を受けていることに気づく。

また、自分を助けてくれた相手からの好意のみが「恩」とは言えない。相手からの理不尽な言葉や態度もまた自らを成長させ、今の自分のもととなっているのであれば、それは「恩」であると私は思う。

このように「恩」の意味を捉えると、私という人間は常に自然や人や物からの「恩」によって今ここに存在し、これからもその「恩」を受け生きていくのだということが分かる。「恩」とは人生の一点の出来事ではなく、常に受け続けているものなのではないだろうか?

私自身が「恩」によって作り上げられたものなら「恩を知る」ことは難しいことでは無い。そして感謝の対象も全ての事象に対してとなる。そして、私の考える一番の受けた恩への報い方は、私自身の人生を楽しく最後まで生き抜いていくことである。

bottom of page